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細川ガラシャ 名言の意味とは? [細川ガラシャ]

数奇な運命を辿ったとされる細川ガラシャですが、NHK大河ドラマ真田丸では橋本マナミさんが演じることとなり、注目を集めていますね。

細川ガラシャは1563年に生まれ、1600年7月17日(旧暦)に亡くなります。

細川ガラシャは亡くなるまでに、辞世の句、名言も残しているようで、その意味などにもスポットを当ててみたいと思います。

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細川ガラシャとは




細川ガラシャは、明智光秀の三女で、細川忠興の妻にあたる人物です。

細川忠興は細川藤孝という織田信長の家臣の嫡男で、同じく家臣の明智家と細川家を姻戚関係で結び付けようとした、いわば政略結婚だったようですね。

細川ガラシャという名前は漢字で「伽羅奢」または「迦羅奢」と書きますが、本名は「たま」(珠、玉)だそうです。

ガラシャと呼ばれるようになったのも明治時代にキリスト教徒が彼女をたたえて呼ぶようになったらしいですね。


キリシタンとしてその洗礼を受けた時に、ラテン語で恩寵・神の恵みという意味のガラシャ(Gratia)という洗礼名を受け、「細川ガラシャ」という名前になったのが本当のことのようです。


細川ガラシャと細川忠興の仲



明智家と姻戚関係となった細川家、細川ガラシャと細川忠興の仲は良好だったようでしたが、本能寺の変により、両家の関係は悪化。

逆心の娘という汚名を着せられ、細川ガラシャは2年間幽閉されます。

その後秀吉から許されて、細川家の邸に戻り、夫の許可なくキリスト教の洗礼を受けることになりますが、これを聞いた夫は激怒。

夫婦仲は冷え切っていったそうです。


細川ガラシャの最期



1600年、徳川家康が上杉討伐に向かったおり、石田三成が大阪の地で挙兵します。

石田三成の軍が細川ガラシャの邸を取り囲み、細川ガラシャを人質に取ろうとしますが、細川ガラシャはそれを拒否。

侍女らを逃し、自らは自害に臨みます。

夫の細川忠興は徳川家康とともに上杉討伐のため、屋敷から外出する時、家臣たちにはこう語ったそうです。

「妻の貞操が危うくなったらまず妻を殺せ」

妻のガラシャにも「人質にとられそうになったら死ね」と言っていたそうです。

それに従い、「夫の命じる通り自分が死ぬ」と死に臨んだのです。

しかし、キリスト教では自害はタブー。そのため、家臣の小笠原秀清に自らを殺すようにと命じます。

彼は細川ガラシャを討ち、自らも切腹し、没しました。

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細川ガラシャの辞世の句



細川ガラシャが死に際して詠んだ歌はあまりに有名です。

細川ガラシャの名言といっても良いでしょう。


その名言とはこちらです。



散りぬべき

時知りてこそ

世の中の

花も花なれ

人も人なれ



細川ガラシャの名言の意味




花も人も、散る時を知っていて、そしてその時に散るからこそ、美しい。

花は花の美しさ、人は人の美しさ、価値がある


そういった意味です。



短いですが、とても素晴らしい名言ですね。

死に際に句を詠むというのは細川ガラシャの強さもあってのことでしょう。



細川ガラシャの壮絶な死は、宣教師によって欧米にまで語られてオペラにまでなっているそうです。

細川ガラシャがモデルとなったオペラは「気丈な貴婦人 Mulier Fortis」というそうです。

気丈なというところが、細川ガラシャの名言を物語っているのでしょうか。


細川ガラシャは、石田三成の人質になって生きることも選択できたはずですが、名言が意味する通り、散るときを知って、その通りに散ることを選んだんですね。

死に際を理解して、死ぬことの意味を知り、散っていくことを美とした細川ガラシャを、橋本マナミさんはどう演じるのか、そちらも気になるところです。


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